序文──三つの波が、21世紀世界を決定する

2050年の世界は、一体どうなっているだろうか。‥‥我々は、2100年へ向けての心構えはできているのだろうか。我々の子どもや孫たちの世代は、豊かな社会に生きることはできるのだろうか。それとも我々の世代を恨みながら、地獄の底を這い回ることになるのだろうか。‥‥

未来の第一波「超帝国」

すべてマネーで決着がつく。究極の市場主義が支配する世界。民主主義は雲散霧消し、国家権力は骨抜きとなり、稼いだ者が勝ちという社会になる。その第一波は公共部門の解体にあり、医療・教育・文化など、公益を確保しなければならない部門までがマネーで汚染されてしまう。公害問題に対する取り組みなども、排出権取引などでマネーゲームの対象となる。

未来の第二波「超紛争」

国境をまたいで跋扈する様々な暴力集団による破壊的衝突。非合法組織どうしの殺し合いはもちろん、多極化構造による勢力争いをめぐった紛争、度を超えた拝金主義や科学万能信奉に対する反動からの宗教紛争、エネルギー・水・食糧といった死活物質の争奪戦による地域紛争、貧困を逃れるための大規模な民族移動による民族紛争などが勃発する。これらすべてがゴチャ混ぜとなって混沌とした泥沼の紛争に突入する。

未来の第三波「超民主主義」

市場民主主義をベースとした利他愛に基づく人類の新たな境地。利潤追求自体に大きな意味はなくなり、人類全員があたかも家族のように、他者の幸せが自分の幸せと感じられる世の中。現代のNGOはその先駆けとなる‥‥。
P.13‥‥現状はいたってシンプルである。つまり、市場の力が世界を覆っている。すべてマネーで決着をつける市場の力の行きつく先は‥‥中略‥‥人類の滅亡である。
P.14‥‥こうした悲観的な未来にひるみ、暴力によってグローバル化を押しとどめようとするならば、人類は頻繁に勃発する退行的な残虐行為や破滅的な戦いに陥り‥‥中略‥‥これも滅亡へと導くであろう。
グローバル化を拒否するのではなく、規制できるのであれば、また、市場を葬り去るのではなく、市場の活動範囲を限定できるのであれば、そして、民主主義が具体性を持ちつつ地球規模に広がるのであれば、さらに一国による世界の支配に終止符が打たれるのであれば、自由・責任・尊厳・超越・他者への尊厳に関して新たな境地が開かれるであろう。こうした境地を「超民主主義」と呼ぶ。
P.15‥‥アメリカ帝国による世界支配は‥‥2035年よりも前に終焉するだろう。そして、次に、超帝国、超紛争、超民主主義といった三つの未来の波が次々と押し寄せてくる。‥‥現在においてもすでに、これらが絡み合った状況が散見できる。筆者は2060年ごろに超民主主義が勝利すると信じている。この超民主主義こそが、人類が組織する最高の形式であり、21世紀の歴史の原動力となる最後の表現である。つまり、それは「自由」である。
※ アメリカ発「金融危機」の無様な現状を考えれば、本当にそうなって欲しいし、万人の希望となるものである。第二次世界大戦終戦直後には、そうした祈りにも似た気持ちが世界を覆っていたはずだった。
それにしても、何でも「カネ」には、正直に言って、うんざりさせられる。労動と勤勉によって得られた「交換価値」ならば、敬意を持って扱うだろう。しかし、この実物経済の中に、CDSを売って儲けた「カネ」も混在しているわけで見分けはつかない。金融機関もなくては困るが、これもまた(繰り返しだが)多すぎる。「実体経済への影響」という言葉にも、金融資本の不気味さの影響が感じられる。この「超民主主義」においては、「利潤追求自体に大きな意味はなくなり、他者の幸せが自分の幸せと感じられる」という。
「超紛争」の後ではなく、このまま平和を保ちながら実現を願うものである。ma30

金融新技術発展の功罪

ラジャンの論文のテーマは「現代の金融システムが抱える危険」と、そして「現代における銀行の役割」である。アメリカでの金融取引(カネの貸し借り)は、銀行が中心となる相対取引から、証券を用いての市場取引が主流になった。こうしたシステム変更は、危険が減少したと言い切れるのだろうか。それがこの論文で検討されている。
現代金融システムの「銀行」の役割低下は、家計などの資金の「最終的な出し手」が、銀行を介することなく、一般企業などの資金の「最終的な受け手」に市場を通じて直接に資金を供給することになった「変化」と解釈されている。(ディスインターメディエーション・「仲介機能の消滅」という。)ラジャンは、これがそもそもの誤解なのだ、と言っている。
証券を中心とする市場取引は、「最終的な資金の出し手」と「最終的な資金の受け手」とが直接に行うものではなく、ヘッジ・ファンドや投資信託、はては企業買収ファンドや、近年、銀行がオフ・バランスシートで設けているストラクチュアード・インベストメント・ビークル(SIV)といった資産運用専門機関(以降「ファンド」という)が「仲介役」となって行われるものが大部分である。‥‥したがって、かっての仲介役(銀行)の代わりに、新しいタイプの仲介役(ファンド)が躍り出た「変化」と解釈されるべきであり、その意味で「リインターメディエーション・仲介機能の復活」という用語がより適切なのである。
仲介機能がこのような形態をとることは、「最終的な出し手(プリンシパル)」の代理人として行動する仲介役が、本当にプリンシパルの利害に沿って行動するのかどうかという、経済学でいう「プリンシパル・エージェント問題」がここでも非常に重要になってくる。
かっての銀行にも「利害の不一致」は存在したが、今日では、それが一層顕著になって存在している。その原因は仲介役の行動原理の違いであり、さらにその核心は、インセンティブ体系の違いにある。(プリンシパル・エージェント問題:文末参照)

代理人(エージェント)には「アルファ」が求められる

投資証券による「利益」には二種類のものがある。一つは市場全体の動きに連動した「利益」、たとえば平均株価が上昇した場合のキャピタル・ゲイン、下落した場合に被るキャピタル・ロスといった性質の「利益」である。金融理論ではそれを「ベータ」という。もう一つは、ファンド・マネージャーが「株価上昇率」の高い銘柄を選別して得られるような「利益」で、これを「アルファ」と呼ぶ。顧客が求めるのは、高い選別能力による「アルファ」である。

見せかけ「アルファ」として、CDSを売る

誰もが「アルファ」を実現できるはずがない。どうするかといえば、たとえば、クレディット・ディフォルト・スワップCDS)を売るのである。CDSは債務契約の保険であり、それを売るものはその債務契約が履行されなかった場合に、債務の不履行分の損失を支払わなければならないが、その代償としてプレミアム(保険料収入)を受け取る。したがってCDSを売れば、債務が履行されている通常な状態において、ファンドはコンスタントにプレミアム収入を稼ぐことができる。‥‥
これによって、ファンドが宣伝する「投資収益」は、特殊な選択能力が発揮されたための「アルファ」ではなく、(過剰な)リスクを引き受けることで得られる単なる「プレミアム(保険料収入)」にすぎいない。(ラジャンがここでCDSを例に取上げているのは慧眼だ。なぜなら、サブプライム危機の深刻化が、残高4500兆円に上るCDSの契約不履行につながる金融危機の次の段階が、2008年春に一時危惧されたからである。)(著者)

銀行は安全か?

P.176 ‥‥1998年ごろと今日とでは、銀行経営にも、金融市場にも大きな変化がみられる。もし、今日、当時と同じような「流動性の危機」が発生しても、それに対して銀行が、当時と同じように救済役を務めるのは難しいのではないか。そう、ラジャンは予想する。この点に関する彼の透徹した分析は、この論文の「白眉」だろう。実際の出来事は、まさにそのとおりになったのだから。(著者)
1998年とは、ヘッジ・ファンドLTCMの破綻した年である。ロシアの債務不履行、一般の投資家は新興国の政府債はおろか、アメリカ国内の普通の格付けの社債からも一斉に逃避した。そうした資本の逃げ場は、米国債そして銀行預金だった。この頃の銀行は、規制時代の風土がいくらかは残っていたのか、「テール・リスク」を拡大するようなことはなかった。それゆえ、金融市場が混乱した際には流動性の逃避先となり、その流動性を用いて「最後から二番目の貸し手」となることができたのである。
いまや銀行もファンドも一蓮托生である。銀行とファンドの間の行動原理の違いは消滅した。ともに大きな「テール・リスク」を抱え込む。万一、その「テール・リスク」が実現した場合には、ファンドだけが経営危機にさらされて、銀行だけが安全だということはありえない。ファンドが流動性に逼迫しているときには、おそらく銀行も流動性に逼迫しているだろう。

流動性のジレンマ

プリンストン大学のヒュン・ソン・シン教授は、「流動性」「シンクロナイズ」「時価評価が生むリスクのスパイラル的拡大」などを説明して、ラジャンの理論を評価する。
※この第2部以降が、実に見事なのである。今日の会計基準の基になった考え方に「価格シグナル」への信頼があって、時価会計が標準化された。だが、「時価」とは、一般にファンダメンタルと考えられてきた価格ではなく、資産を売却するときに、市場に存在する現金(流動性)に依存する。従って、流動性の逼迫は、時価下落のスパイラルを生み、「テール・リスク」が大きいほど、危機が拡大して、これを止めるものが市場に存在しなくなる。さらに、銀行も証券会社も、利率の低い短期融資(翌日もの)で資金調達し、長期の運用で莫大な利益を上げる仕組みになっている。かくして「最後の貸し手」は中央銀行だけになる。(スタンレー・フィッシャー)
2007年8月9日ヨーロッパ中央銀行が約15兆円のオーバーナイト(短期)資金を銀行間市場に投入、などその一例である。
筆者は、最後に、「これで「サブプライム危機」が終わるものではない。「サブプライム危機」はもともと、「流動性の危機」にとどまる性格のものではなく、「構造問題」としての側面を持っている。すなわち、2006年のピークからの15%の住宅価格の下落によって、2008年6月末現在で、約1500万のアメリカの家計が、住宅について、時価評価が元利合計を下回る「ネガティブ・エクイティー」の状態にあるという「構造問題」である。
この「1階」の問題の上に、金融機関の「経営及び流動性」という「2階」が築かれているわけであって、もし今後、住宅ローンのディフォルトがさらに増加するようなことにでもなると、「2階」の問題もさらに深刻化する。「1階」の問題の拡散を防ぐためには、アメリカ政府はおそらく、住宅ローンで窮地に追い込まれた家計の大々的な救済に乗り出さなければならない。資本主義の「自己責任」の原則、もしくはブッシュ大統領の「オーナーシップ・ソサエティー」の理想から大きく離れた行動をとらざるを得ないほど、状況は今後、深刻になる可能性がある。」と述べている。
世界経済にとって、オバマ政権の財政政策が注目されるところである。ma30
プリンシパル=エージェント問題
「使用者と被用者の関係」などにおいて、情報の非対称性によりエージェントの行動についてプリンシパルが知りえない情報があることから、エージェントの行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる現象。

第2部学会で起こった不思議な出来事

アメリカ西部、ワイオミング州、ジャクソン・ホール。2005年8月、カンザスシティー連銀が主催した「金融政策」の重要な問題をテーマとする恒例のシンポジウムが舞台である。18年間、FRB議長だった(この年末に引退の)アラン・グリーンスパンの「引退の花道」という催しでもあり、参加者の顔ぶれは実に豪華だった。加えて注目の研究者が二人いた。
元財務長官 ボブ・ルービンとラリー・サマーズ、現イスラエル銀行総裁 スタンレー・フィッシャー、元連銀副議長のプリンストン大学教授 アラン・ブラインダー、ヨーロッパ中央銀行総裁 ジャン・クロード・トリシェ、現連銀副議長ドナルド・コーン‥‥。注目の研究者とは、シカゴ大学教授で高名なマクロ経済・金融のラグー・ラジャン、そして、英国生まれの若い韓国人経済学者・プリンストン大学教授のヒュン・ソン・シン である。
このシンポジウムが、グリーンスパンの「引退の花道」とされただけに、グリーンスパンを讃える記念行事的色彩が強いなか、ラグー・ラジャンが「金融システムの発展は、世界をより危険にしたか」というやや批判的な報告論文を発表し、ヒュン・ソン・シンが、ラジャンの報告の核心が「流動性」であることに注意を向け、その公共財としての性質と、ある状況で、シンクロナイズが生じた場合の影響を報告した。
これに対し、ドナルド・コーン、ラリー・サマーズ、が反論した。中でも、サマーズのコメントは「科学の進歩にマイナス面があるのは確かだが、全体とすれば圧倒的にプラスだ。」というような、議論の余地もないというほどの剣幕だった。
ラグー・ラジャンの報告論文は、発表の日付を隠して読めば、サブプライム危機の鋭敏な「現状分析」と思うだろう(著者)、というほど、論文の予想は正確である。また、今読んでも面白い、というより今でこそ論文の真価が明らかになる、と述べている。
2008年6月2日、英フィナンシャル・タイムズ紙に、サマーズが論説を載せた。そして、本書のその項の見出しには、「君子・サマーズの豹変」と書いてある。態度をすっかり変えたのだ。これだけ見事に、反対意見に同調すれば、政策方針の決定も容易である。筆者は、これを、失敗から学び、容易に態度を改めるという「プラグマティズム」こそが、アメリカの強さの源泉ではないか、と評価している。
(日本のバブル崩壊後の「金縛り」のようにはならなかった、ということだと思う。)

第1部ゴーン・ウィズ・ア・バブル

バブル経済の説明から、世界経済の「成長率の低下」まで、公的年金や消費税まで、考え方の基礎を教授される。大分の頁を費やして書かれているが、読みやすく勉強になる。面白いという言い方は適当でないかもしれないが、何度読んでもやはり面白い。
この部の表題どおり、『バブルの勢いに乗った世界経済の急成長への弔辞』として、ゲーテの『ファウスト』に擬えて終わる。

サブプライム危機(序文より)

フランクナイト

P.6‥‥フランク・ナイトは「エコノミック・リベラリズム(経済自由主義)」で知られるシカゴ・スクールの生みの親だが、「予想を経済学の目標とする」という、後にミルトン・フリードマンが確立したシカゴ・スクールの伝統とはまったく異なり、むしろそれとは対極的な思想の持ち主だった。なぜなら、彼にとって「予想ができない領域」が存在するという事実こそが、経済学にとって一番大切な認識だったからである。
発生確率が予想できる危険を「リスク」といい、それが予想できない危険を「不確実性」というのが、今日の標準的な用語法にもなっている「リスク」と「不確実性」についての彼の考え方である。
事業にかかわる危険が、確率予想のできる「リスク」だけであるならば、事業についての収入と生産費の期待値が計算できることになる。そうすると、収入の期待値が生産費の期待値を上回り、平均的には「利潤」がその事業に見込まれるという場合には、企業間の熾烈な競争が継続し、その結果、収入の期待値は生産費の期待値まで下がって、平均的には「利潤」は消滅せざるを得ないことになる。

史上「空前」の利益を享受した・欧米の金融業

今日の発達した金融工学によって、「リスク」の領域で金融商品の開発を行うとしたら、金融業が史上「空前」の利益を享受した、というのはおかしいのではないか?それについては、次のように説明されている。
「金融業はやはり「不確実性」の領域に大々的に踏み込んでいた。与信審査もろくにしない「サブプライム」の住宅ローンなどは、「不確実性」の最たるものであった。そんな危険なローンの不払い率などは、住宅価格の変動によっていかにでも変化するから、その危険は予想不可能とまではいえなくても、少なくとも予想が極めて困難なものである。その「不確実性」を乏しいデータをネタに「リスク」と偽り、さらに「リスク」の領域でのみ経済理論的に認められるさまざまな統計的操作を行って、複雑な「仕組み債」を作り上げ、それを売りまいて、「空前の利潤」を実現したのだ。」
サブプライム・ローンの審査は本当にいい加減らしい。審査が緩く、「No Income」、「No Job」、「No Asset」(所得なし、職業なし、資産なし)でも審査に通るところから、頭文字を取って、NINJA(忍者)ローンとも呼ばれている。」

金融危機

資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす

資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす

本書は、序文、第1部ゴーン・ウィズ・ア・バブル、第2部学会で起こった不思議な出来事、第3部流動性──この深遠なるもの、という構成になっている。出版が、本年9月8日であり、日々の経済ニュースを理解するうえで、とても有益で基礎的な文献だと思う。つまり本書と日々のニュースは地続きで見聞きすることができる‥‥。ma30