帰ってきたジュラシック・パーク P.402

1億年前、恐竜の血液を吸った蚊が琥珀(こはく)に閉じ込められ、DNAの欠損部分をカエルのDNAで補って、恐竜を再生させる。映画『ジュラシック・パーク』が実現化できるとは思わなかったが、遺伝子工学に関わっていた当時の科学者たちは、このSFスリラーを好意的には受け取らなかったらしい。一般大衆にとっては、着想のおもしろさと映像技術のできばえに大いに満足し、スティーブン・スピルバーグ監督を絶賛したと思うのだが‥。ma30
「1年でひとつの固体に含まれるゲノムの3.5%以上の配列を決定するのは不可能だ」「わずか3000万ドルの予算で3年間に15種類の恐竜のゲノムを読むことができたなどと想像するのはばかげている。」「無傷の遺伝子コードを持つ生きている動物でさえ、まだ誰もクローニングに成功していないのだから、遺伝子のほとんどが破壊されたか損傷を受けている絶滅動物を再生できるわけがない」「恐竜の再生は永久に不可能。」
いやにムキになっているとも思えるこれらの批判は、それだけ科学技術が発展していたことを表している。
P.403 (この映画は、1993年のマイクル・クライトンの小説を映画化したものだが)、それからわずか15年後、分子生物学者が揃って自分たちのテクノロジーが持つ未来の可能性を過小評価していたことが明らかになる。今日では、生きている動物、または最近死に絶えた原種と遺伝子配列に共通部分がある動物のクローニングは広く行われている。‥‥それでも、すべての恐竜のDNAがとうの昔に姿を消しているのだから、バイオテクノロジーが想像しうるかぎりの進歩を遂げても恐竜をよみがえらせることはできないと、あなたは思うかもしれない。もしそう思うなら、それは間違いだ。発生生物学、遺伝学、進化論に基づく概念とテクノロジーをつなぎ合わせることによって、恐竜の生きた模造品を作り出せる可能性がある‥‥。

模造品ではあるが、恐竜は作り出せる P.404〜406

1993年、著者の研究室に所属する大学生セーラ・ハンコックが、成長中の胎児に腕や脚をそれぞれ体側のどこに生み出すべきかを教えるふたつの遺伝子を確認した。一方で、世界中のさまざまな研究所に所属する科学者が、胴体と首の詳細な成長を調整したり、手足や指の骨や軟組織の形と大きさなどの形態構造を整えたりする別の数十の遺伝子を明らかにしつつあった。遺伝子による発生のコントロールは複雑だが、驚くほど分析しやすく、ほんの数年前に科学者が思い込んでいたほど不可解なものではないことが判明した。驚くべきことに、脊椎動物はすべて──哺乳類も鳥類も爬虫類も魚類も──同じ一式の基本的遺伝子を使うのだ。(TBX5遺伝子=詳しくは本書で‥‥)
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科学者は、発見手順をスピードアップして、過去に実在していた恐竜のゲノムにいっそう似通ったゲノムを作り出す別の方策をひそかに用意している。その方策とは、絶滅したゲノムを復元するために進化の過程を分解して組み立て直すというもので、チンパンジーと人間とゴリラのDNAに関する以下の仮説例で説明できる。
人間とチンパンジーのDNAの同じ領域を比較すると、以下の結果が出るとしよう。すべての人間のDNAにあるコードがTTACCGTTAGで、チンパンジーのコードがTTACCATTAGだとする。九つの同一の文字は、500万年前に生きていたチンパンジーと人間の共通の祖先にも存在していたに違いないが、中央の相違──GかA──は、どちらかの種の系統に生じた突然変異を表わす。しかし、これらのデータだけでは、GとAどちらの文字がチンパンジーと人間の共通の祖先に存在していたかを特定するにはじゅうぶんではない。解決策は、ゴリラのような、ほんの少しだけ遠い種のDNAの同じ領域を見ることだ。もしゴリラのDNAコードがチンパンジーと同じTTACCATTAGなら、Aという文字が、人間へと至る系統のどこかでGという文字に突然変異したと推測できる。ここまで分析すると、人間の祖先の500万年前に絶滅した種が持っていたDNA配列──TTACCATTAGに違いない──を、その種のDNAが全く残っていなくても特定できるのだ。現在生きている三種すべてのDNAの端から端まで同じ比較を実施すれば、絶滅して今はいない人類の原型のゲノムを、コンピュータがすべて算出してくれる。
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同じような取り組み方で、鳥類と爬虫類──どちらも恐竜から進化した──のDNAを比較したら、絶滅した恐竜のゲノムについて、完全ではないが、ある程度は洞察を得られるだろうと、進化発生遺伝学者は信じている。
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※この本の特色は、バイオテクノロジーの進歩の状況を伝えるだけのものではなく、ひとつ一つの分子生物学の発見や現在について語るとき、著者の心が絶えず「霊魂」と対峙せざるを得ないという点にある。一神教の文化圏の中で科学を研究するということは、ある意味で戦いである、と巻末の解説にも述べられている。
進化論はキリスト教の天敵である、とさえ言われるアメリカで、先端科学が突出して展開されるのは何故なのだろうか。
自由と民主主義の国という点で、アメリカはすばらしい。だが、金融については、あまり感心できない。カネでカネを生む先端的な金融工学の発展を促進したり、駆使するべきではないと思う。ノーベル経済学賞に批判の声が上がったこともある。先進国が途上国からカネを巻き上げる結果になりやすいのもよくない。世界的な金融市場に国益の概念を持ち込むのもよくない。世界が貧困をなくそうと努力する中で、市場経済の名のもとに、素人の手をねじり上げるように見えるのも感心できない。基軸通貨を発行している超大国は、世界の金融に責任がある。
なお、飢餓、石油の枯渇、環境汚染、地球温暖化などは、つまるところ世界人口の急激な増加に端を発しており、限られた農地から、やがて90億人に達するであろう人類にとって、遺伝子組み換え食品は、さけて通れないものであることにも触れられている。ma30