貴重な学者の貴重な提言

法律学としての会社法、経済学で扱う企業(会社)、経営学に出てくる会社という組織のマネージメント、労働関係法の雇用側である会社、など「会社」に関係する研究分野は多いが、「会社学」という専門研究の分野はない。
2005年5月公布、2006年5月施行の会社法では、資本取引の自由化が一段と促進され、「会社とは何か」が、ますます分かりにくいものとなってしまった。周囲を見まわせば、たいていの人が会社に就職して、賃金や報酬を得ているし、ニュースや社会現象はほとんど会社に関係があると言ってよい。社会から「会社」を取り除いたら、まるで何も残らないくらいなのだ。
であるにもかかわらず、「会社学」という学問はなく、会社について研究している経済学者もいない。‥‥学問や研究が、経済学、経営学会計学などに専門化してしまうと、会社の本質がみえなくなってしまう。人間について人間学、あるいは人類学があり、国家については国家学があるように、会社についても会社学が必要なのである。(P.18)
本書のように、会社(株式会社)から社会制度を見ていくと、明治以来の日本という国家・社会の歴史的な変遷が極めて理解しやすいものになるのだが、たとえば、バブル崩壊について、これを経済学によって説明されたら、やはりその本質は分かりにくい。経済学的視点からの事象の解説は得られても、そもそもの原因は説明されにくいのである。「会社学」も、社会学が横断的学問であるように、「会社」に関係する研究分野を横断的に捉える学問としてあるべきだと考える。
会社は法人であるが、法人をどのように理解するかについては、法人擬制説、法人否認説、法人実在説があり、法人実在説の発展形として「法人それ自体説」というものもある。個人的な感覚だが、高度成長期の日本人の多くは、この「法人それ自体」に忠勤をささげてきたように思われる。階層によって違いはあるものの、「会社のため」と思うことについてはそこに大義があったのだと考えている。ほとんどの会社人間は、株主など意中になく、ときとして経営者とすら対立している。内部告発が増えてきた今日では理解し難いことだが、これは、著者が指摘するとおり、会社は、かっての国家と同じような存在だったと理解される。ma30